ケンタロウ

「小林カツ代伝」からのケンタロウさん関連ザックリまとめ

私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝
中原一歩(文藝春秋/2017年1月発売)より抜粋


あくまでもケンタロウさんメインのまとめです。

◉カツ代さんは大の引っ越し魔
突発的引っ越し症候群
上福岡→東久留米→田無→ひばりヶ丘→西荻窪→浜山田(駅から徒歩10分ほどのマンション)

西荻窪が一番好きだった
→西荻窪駅から15分ほどの閑静な住宅街の高級マンションの3階が仕事場
→同じフロアのはす向かいがケンタロウ事務所
→間取りは100平米の2LDK

◉ケンタロウさんの大好物は唐揚げ、すき焼き、ミートソース、ビックチーズハンバーグ
→姉のまりこさんのお気に入りはコロッケ
→小林家のコロッケは俵形
→隠し味にコンデンスミルクを入れるのはカツ代の夫の母の手法

◉カツ代さんは千日前商店街の喫茶店「アメリカン」に
→ケンタロウさんはここのプリンが大好き

大阪「純喫茶アメリカン」レポート|コーヒーのチカラ
純喫茶 アメリカン – 近鉄日本橋/喫茶店 [食べログ]

◉【カツ代さんの3つの約束事】
①おいしくて、早くて、安い
②特別な材料は使わない
③食卓にはユーモアがないといけない
(いずれもケンタロウさんと共通)

◉夫の転勤で神戸に移住
→神戸の洋食屋さん「グリルミヤコ」に出会う
→カツ代さんはここのハンバーグが大好き
→この時はまだただの主婦

◉カツ代さんと夫、まりこさんとケンタロウさんとで週に一回、東久留米駅前のオレンジイングリッシュスクール英会話教室に通っていた(現在はない)

◉カツ代さんが33歳でまりこさんを産む
その翌年にケンタロウさん

◉まりこさんとケンタロウさんは吉祥寺の私立高に通う
→帰りにはカフェや喫茶店に行く
→友達はケーキとコーヒーのセットだけど、二人はお金がないので、いつもパフェばかり頼んでた(パフェだと飲み物は必要ないから)
→学校で二人が顔を合わせると、「なんでうちにはお金がないのか」といつもブツブツ文句を言っていた
→まりこさんとケンタロウさんが高校生の時、家族で焼肉を食べに行ったのはいいけど、お金のことを心配してどうしようかと悩んでいたら、カツ代さんが「足りなかったら後で頼めばいいじゃない」と言われて驚いた

◉ケンタロウさんは子供の頃からお調子者でわんぱく少年、人見知りしない
中学生の頃は母にも反抗した
→あなたがグレるなら、私(カツ代さん)もグレると対抗
(さすが大阪人)

◉ケンタロウさんは小学5年の時に学校を中退している
→学校の理念自体は自由な校風だったけど、保護者や教師が保守的で行事に参加できないカツ代のことで責められイヤな思いをした
→学区内の公立校に転入
→まりこさん談「ケンタロウをいじめた先生は数年後にいい人になったそうで、でもカツ代はその先生のことを許さないけど、ケンタロウは許す。ケンタロウは大らかで何事にも根に持たない性格で、母の血を受け継いでる」

◉ケンタロウさんは小学生の頃から友達と遊んでいても、時間になると家に戻って米研ぎをしていた
→当時の炊飯器はタイマーセットや保温ができないため自分でやらないと炊きたてのご飯が食べれられないため
→中学3年になると、母の代わりに台所に立ち、母が出張中はまりこの弁当を作る
→まりこさん談「姉という身分的な絶対的地位を利用し、お腹が減ったら弟に何か作ってと、半ば命令のようにお願いしていた」
→まりこさんが社会人になり、仕事でクタクタに疲れて帰った時、ケンタロウが中華おこげを作ってくれて、それが忘れられない味。深夜に帰宅したにもかかわらず、仕込みをして待っててくれていて、ちゃんと野菜たっぷりの餡まで完成させていた。そもそも私が家で作るのは難しいおこげをリクエストしてしまったのに、弟は喜んで作ってくれた。昔から味は抜群だった

◉カツ代の味の原点は母の味であり、関西の薄口のが根底にあるが、ケンタロウは男の子だし関東育ちで、味付けはビシッと濃い味。
おいしさにこだわるという点ではお互いに絶対に譲らない

◉ケンタロウさんは親の七光りと言われるのを嫌った
→そのため独立する時には「小林」を取り「健太郎」でもない「ケンタロウ」にした

◉まりこさんは小林カツ代の娘でありながら、料理を面白いとは感じなかったし、作らなくていいのなら作りたくなかった。
でもおいしいものを食べたいという思いは人一倍あったし、おいしいものとそうでないものは瞬時に判別できた

◉カツ代さんが亡くなり、まりこさんに小林カツ代を注いでくれないかと打診するも「料理には関心がない」と辞退
それでも台所を立つたびに母を思い出す

→ある日、家族が大好きだった鶏の唐揚げを友人に振る舞った
それを食べた友人が目を丸くしながら「こんなおいしい唐揚げを食べたのは人生で初めて」
その唐揚げはカツ代レシピを忠実に再現してて母の味の通りに仕上がっていた
おいしいものしか食べさせてもらえなかったおかげで、作るのは苦手でもおいしいことはわかる。
今でもコンロに前に立って「母、降りてこい、降りてこい」とおまじないのようにつぶやく。
でも唐揚げだけは母のようには上に上げることができなかってけど、その時はたまたま本当にカリッと香ばしく上げることができた。
母の味が再現できれば誰だって喜んでくれるのか。
そう思うと、母は亡くなったけどレシピの中に生き続けてるし、すごいと今でも思う。

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